第2日目

 午前8時50分出発。旧市街を見物。市中にガウデイが設計したと云われる建物がある。ガウデイと云う人は設計士で、何処ぞの金持ちが設計を依頼したそうだ。実に妙ちくりんな格好だが、何処か良いのかな?妙ちくりんな処が良いのだろう。金持ちの気持ちは解らぬ。

 次にグエール公園。名前は公園だが元々は建て売り住宅地だったそうだ。宅造地はガウデイが設計し、住居は弟子が設計したそうで、此処だけは樹が生えている。地震がないので強度はゼロに等しいが、子供の悪戯の如く、無筋で石を張り付けたり煉瓦を積んだり、既成の概念から逸脱して、何処か夢の國に来たような錯覚さえ覚える。

 彼独自のアイデアを盛り込んであるそうだが、感心する程のアイデアではなく、誰でも直ぐに考えつく程度のものである。

 結局この宅造地は評判が良く無かったようで、売れ残ってしまい、当初の計画を縮小して、公園としたそうだ。この妙ちくりんな宅造地の売れ行きが良くなかったことに、一抹の安堵を覚える。

 名前の記憶はないが、市内の大聖堂を見物。石造りで実に豪華絢爛。資金を湯水の如く使ったことが如実。美名に隠れた略奪の原資で作った寺院では、これが聖堂と言えるのか?惨たらしい張り付けのブロンズと絵画をこれから毎日見せられるとは難儀なことだ。

 昼食後、モンセラート僧院見物。現在は修道僧は居ないそうだが、バルセロナから60キロ離れた山の中腹にある石作りの修道院。2時間程の行程。乾ききった道路をひた走る。黒い顔のマリアと黒い顔の子供のキリスト像があるという。

 道路に添って川幅に比して極端に水の少ない川が有る。眼前に急峻な岩肌を曝す山が現れる。バスを路肩に停め、上を見上げれば、岩肌にへばり付く様に石造りの寺院が見える。

 写真を撮り、バスは山肌を縫うように登る。結構廣い駐車場に到着する。大分登ったと見えて涼しい。寺院の門を入る。

 高台からの眺めは実に清々しい。キリストの陰彫りの像がある。通行人が移動してもキリストの眼がその人を追うという。陰彫りはビックリハウスにある手法で、珍しいものでも無いが、白人一家が感激して盛んにお祈りをしている。ちゃちなトリックにはまって、感激するとは実に滑稽である。宗教の一面を見た!

 堂内に入る。またもや例に漏れず豪華絢爛金ピカ。見方によっては趣味が悪い。これも信仰心を煽るための手段と思えば理が通る。金は高価なものだから其れだけで有り難い感じがする。豪華な彫り物や調度品も同様で有る。

 金ピカのキリストが青い着物を着る。金は高価なもので、然も着物の青色絵の具も高価なものだから、キリストで無くとも、誰の像でも其れだけで有り難く感じる。実に巧い演出法だ!貧しい者なら尚更感激する。こんな処で説教されたら、生臭おじさんの話でも有り難く聞こえるぞ!

 堂内二階に上がる。子供のキリストを抱いたマリア像。両方とも色黒の顔。片方が色白だったら継母と成って問題だが、両方とも黒くて合点。神の子を産んだと云うのだから、御局様とお世継ぎと云う処だろう。透明ケースに入って居て、御局様の右手に持っている金の玉だけが表に出ている。

 其の玉に白人の参拝人が頬摺りし舐める。実に不潔だ!俺の番が巡ってきた。何の気無しに手でクリクリと撫でる。

  寺院の脇に出る。碁盤目の燭台があって傍らに蝋燭がいっぱい売っている。尿意を催したので、傍らのトイレに入る。仕舞った!とんでもない処に入って仕舞った。水道が毀れていて、大便が其の侭。俺は小便だから良いけど、便座が毀れて無くなっているのにウンチをどうやってしたんだ!御局様の玉をクリクリした功徳もすっかり吹っ飛んだ!

  寺院の地下に美術館がある。ピカソとミロの繪がある。その他も沢山あるが、余りの無知で、ボロを出さぬ中に筆を措こう。

 寺院は中腹に有って、更に頂上に向かって登山道とケーブルカーの線路が見える。勿論此処迄来るのには、道路の他にロープウエイもある。

 寺院がなぜ山の高いところに有るのかって?其れは単調な道のりを登り、体が疲れると、頭の中がぼーっと真っ白になって仕舞い、説教を聞くと何の疑いもなく乾いたスポンジに水を吸わせるように脳味噌に入って仕舞うからだ!

 だから何処でも寺院は山の上にあるのだ。俺はバスで来たからあれこれ考えるけど、もし徒歩で山路を登ってきたら、有り難がってあの玉を舐めたりして、策略にまんまと引っかかっていたかも知れぬ。そう云えば日本のお寺も山の中にあって高い石段を登る。適度の疲労と、抹香の臭い。おまけに太鼓をドンツクドンツク。単調なリズムは矢張り頭の中を真っ白にする。洋の東西皆同じ理屈だ。

 明日は空路マドリッドへの移動だから、車窓の景を整理しておこう。
 雨が降らぬと見えて何処もカラカラ。だから草も余り生えないし成長もしない。そこをトラクターが走り回るから道路のようにカチンカチン。農家の庭先にある農機具はカルチ(表層用鋤)ばかりでプラウ(深耕用鋤)は見当たらない。

 これでは雨が降っても全部流れて仕舞って、地中に滲み込まない。だから水分の蓄積もないので収量が上がる筈がないし地面が暑く成って当然だ。又地中に水分の蓄積がないので雨が降らなくて当然だ。

 海川池沼湖の近くは地上に水分が多いから雨が多い。此処では森林(人の立ち入らない数haから数千haの森林は保水能力が抜群で、常に水分の蒸散をして居るので、気温の上昇を防ぎ、地温の上昇による上昇気流を作らないので、雨雲が発生しやすい)を作る習慣がないらしい。

 街路樹(街路樹や庭木や果樹園は余りにも規模が微少で、然も地表が踏み固められているので保水能力がないに等しい)はあるが森林はない。雨が降らなくて当然だ。悪循環の典型。

 バルセロナ市内観光・スペイン広場・モンジョイックの丘・ランブラス通り・ロエベ・カサバトリヨ・カサミラ・グエル公園・聖家族教会・大聖堂・モンセラート修道院

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モンセラート僧院 右端にロープウエイが見える 中央断崖の上に僧院

 

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聖家族教会

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グエル公園
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グエル公園 無筋の橋