第6日目

 朝より王宮の見物。アルハンブラ宮殿。何れにせよこのあたりは骨の随まで宗教に蝕まれて居るようだ。この宗教は偶像崇拝を禁じているとかで、ありとあらゆるものが幾何学模様。何でこんなにも飾りたてるのが好きなのか?却って白壁の美しさの方が良さそうにと言い出す者もいる。

 然しこれにはちゃんと訳があるのだ。これでは宗教としての効率は悪いなあ!と独り合点。偶像を作れば、眼で心を一点に集中させ、そこえ教義を叩き込めばイチコロなのに!もちろん眼にそれなりのものを見せれば、眼は眼で判断して吸収するから、其れも又倍加される。惨たらしい磔を見せるのは巧い方法だ。

 偶像崇拝を禁止すると、耳だけが頼りだから、効率が悪い。耳では説法を聞いていても眼があちこち見て仕舞うと、余計なものが入って効率が悪い。

  そこでこの弊害を取り除くために考案されたのがギッシリと張り詰めた幾何学模様である。ギッシリと詰まった幾何学模様を幾ら看ていても、眼は何の情報も読み取る事が出来ない。だから余計な情報を脳に送らないと云う事だ。

 この二つの方法を簡単に説明すると、例えばおじさんが紙芝居を脇に置いて話をすると、子供は一生懸命に聞き入る。然し紙芝居を置かずに話をすると、子供達は四方に気が散って、話を良く聞かない。そこで四方に気が散らないように、右を向いても左を向いても意味不明の幾何学模様しか目に入らない様にして、眼からの情報を遮断するのである。

 これとは異なった方法に座禅がある。閑静なところに坐らせて、俗世の情報を遮断する。外部からの情報が枯渇すると、今迄蓄積した情報を再覚醒し、新たな情報を渇望する。そこに少量の凝縮された情報を注入する。乾いたスポンジに水を注ぐように効率よく吸収される。宗教者は頭が良いなあ!

 宗教のトリックはこれ迄として、この幾何学模様の製法をご紹介しよう。簡単に云えば凹凸模様付きの漆喰壁と云える。大理石粉末数種類+石灰+膠+繊維+顔料を練り合わせ壁面に塗り付ける。乾燥しない中に凹凸模様の型を押しつける。これを連続して大きな模様とし、金鏝を用いて修正して調える。以上が大方の作り方である。

 話は逸れるが日本や中國にも漆喰の工作物はある。立派な建物にもあるが農村の土蔵や土塀などでは新しいのが今でもある。型押しは見た事がないが、金鏝を用いて入り口・破風・軒・棟に白と黒の漆喰で器用に作られているのをよく見かける。

 昼食後バスでセビリアへ移動。スペインのサッカーチームが使用して居るバスだそうで席も大きくゆったりとした総革張り。でも車両その物はどうかなあ?またもや昨日までのバスト同じでフロントガラスが割れている。皹割れが2カ所と点割れは数カ所。あちこち接着剤で修理して有り、チューブ入り接着剤を見せて運転手君自慢顔。

 バスは広漠たる緑野を一路セビリアへ向かう。地接天の景。小高い丘に城郭の残骸が見える。急勾配地はオリーブ畑で平地は麦畑、セビリアへ近づくにつれて向日葵畑が多くなる。何れにせよ土地は痩せて麦も向日葵も草丈は子供の膝小僧ぐらい。これでは子供用の向日葵迷路も造れない。

 この國の人は金にならない樹を植える事が嫌いと見えて、屋敷林も防風林もなければ、もちろん林も無い。土地はカラカラにされて金を得る為だけに利用され、多くの生命を排斥した死んだ大地。

 この辺の宗教では、人はこの世に君臨すると云うそうだが、其れがこんな処にも現れているのか?人は幾多の生物の中の、たった一つの生物に過ぎないのに!余りにも自分勝手に振る舞っているのではないか?

 この辺は石灰岩地と見えて、ちらほらと白みがかった土地がある。石灰岩の白色である。道の両側に色とりどりの花が咲いている。花の名前に疎いので書き出す訳にはゆかないが、過酷な土地に咲く花は殊に色が鮮やかで、単調な景色に飽きた心を癒してくれる。

 ガイド君は自然に生えた草花だと説明していたが、自然に野草でない草花が連続して生える訳もないし、草種が限定されることもない。長い道のりの間、開花中の草、まだ蕾の草、既に終わった花、まだまだの草、つぶさに看ると其の種類は限定されている。

 日本にも一年中次々と花を咲かせるように、花の種を適度に混合したミックスと云う名称の種が売られている。このたぐいを播種したで有ろう事は容易に想像がつく。


 セビリア着。14世紀にペドロ王によって建てられたアルカサール、スペイン最大のカテドラル、ヒルダの塔などを見物。毎日毎日旧跡ばかり看ていると、この頃は余り感激しなくなった。だから記憶も疎くなる。

 夕刻(時刻は夕刻だが真昼の明るさ)フラメンコショーを看に行く。前から二列目の席。写真屋が観光客を寫して回る。後ほど幕間に売りに来る。余りの大写しにただ唖然。美しいのは美しく、そうでないのはそれなりに、と言うけど、判ってはいるのだが矢張り自尊心が傷ついて買う気がなくなる。

 フラメンコとは、ジプシーの文化だと聞くが、踊り子や歌手はジプシーではない職業人だそうだ。

 ジプシーとは、インドやパキスタンの最下層カースト出身者が流浪の民となってヨーロッパ迄流れ着いた人々の総称である。彼らは混血を嫌い、独自の文化を持って、ヨーロッパ各地で固有の文化圏を形成している。

 また其の起源が最下層カースト出身者と云う事もあって、人の嫌う生臭い物を扱う職業に就く者が多い。現住の受け入れ側国民にあっても彼らの文化が理解出来ず、特異な眼差しで差別することが多い。

 フラメンコとは、そんな彼らの悲哀とも憤りとも、云い知れぬ心の謳露と云える
踊りと唄は別々で、後に合わさったと聞く。切々として訴えるが如く咽ぶが如く、吼えるが如く憤るが如く緩急自在、聴衆の肉躍り血迸らせずにはおかない。

 そして唄と相俟って悲痛嫋々地を抜く程に踏み鳴らし天を突裂くばかりに舞う姿は観衆をして一隔の境地に誘い込む。然しこれは何れも本来唄い舞う者自身の心の叫びである事を鑑みれば、ジプシーの彼らが舞台に立たぬ事も理解出来よう。

 アルハンブラ宮殿・ヘネラリーフエ・寄せ木細工・アルカサール・ユダヤ人街・サンタクルス街・黄金の塔・万博会場跡・フラメンコ

 

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宮殿中庭 山羊のようだがライオン

 


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無機質な幾何学模様 白い部分は修理中 何時になったら完成か?

 


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フラメンコ

 

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広漠たる麦畑