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祀祠の経緯

この霊石は都内某所の佐藤真嗣氏の家に祀られていたのですが、あまりにも霊験があらたかな為に、孫達がそれに頼る様になって仕舞ったそうです。これは、佐藤家にとってゆゆしき事態です。そこで氏は霊石を家から離れた所にお祀りして、多くの方々に幸運をもたらした方が好いとお考えになったのです。

沿革 交通 霊石 花園 礼拝法

 

 かれこれ一年ほど前になりますか、ひょっこり友人が尋ねてきて、四方山話の間に東京で財を為した知人の話をしました。

 友人も私も彼の幸運を羨ましく思った程でした。斯く言う私は新年に御札お守りを買い求め、お神籤を引いて一喜一憂はしますが、かと言って「運勢」などと言う話を本気で信じるようなことはありませんでした。

 友人の話に依れば、佐藤氏は経済界では多少とも名の知れた御仁とのこと、もともと東京生まれの方で、少年期は下町のどぶ板長屋に住んで居られた。何故にどぶ板長屋かと言えば、両親は若い頃からお二人して体が余り丈夫ではなかった様なのです。体の弱い二人が所帯を持ったのですから想像に余りあります。

以下は佐藤氏の話

 佐藤氏は病身の父母を助けるため、姉と共に少年の頃から近所の工場で働いていました。姉さんは悩み事があると両親のことを気遣って独り河原で泣いて、両親には疲れた顔など見せぬ気丈で思いやり深い方でした。そして仕事と精神の疲れで何時しか河原の石に寄りかかって眠って仕舞うことも有ったのです。

 姉さんはある時そつと弟に耳打ちした。あまり泣き疲れて河原の石に寄りかかって眠って仕舞ったら、夢を見て仕舞ったの!夢枕に突然目の前の石が輝きだし「わたし達を持ち帰って、念じてご覧なさい!」と言ったそうだ。
 「疲れていたので、たわいもない夢を見て仕舞ったんだわ!だけど、わたしこの石を持って帰りたいの!」姉と二人して八百屋さんでリヤカーを借り数個の石を持ち帰った。

 狭い長屋の軒下に石を置き、出がけと帰りに、石にちょっと手を触れ、父母の健康回復を心の内で念じた。弟も妹も見よう見まねで、それぞれに石に頼み事をするようになった。

 当時はどの家庭も似たり寄ったりの貧しさなので、薬も医者も無縁で有ったけれど、三十年来の病身の父母が薄紙を剥ぐように健康を取り戻し、一年ほどの間にお二人とも元気に成ってしまった。

 姉さんは、親孝行と勤勉正直が認められて、良縁に恵まれ幸せに暮らしているそうです。弟と妹は両親が健康になったお陰で大学にも進学でき、それぞれ幸せな家庭を持っています。佐藤氏も健康に恵まれ事業も先見性が発揮できて、順調に過ぎています。

 もちろんあの河原の石も新居に移って、玄関先の軒下に鎮座しています。勿論この石の霊力は我が一族では公然の秘密です。自分で決断の出来ないときは、石にそつと手を触れ、心の内で念じるのです。そうすると心の曇りがさっと晴れて来るのです。

 だが此処で困った事が出てきて仕舞ったのです。何処で聞きつけたか、霊力の有る石に触らしてくれと言う人が時々来るように成ったのです。佐藤さん一族の方々だけの霊感なのかと思っていましたら、どなたにでも霊感が現れるそうなのです。仕事の判断を感知したとか、子供の非行が直ったとか、夫婦仲が好くなったとか、競輪競馬宝くじまで出る始末です。

 人の出入りが多いのは來福と言って嬉しい事ですし、ご苦労なさって居られる多くの方が、それなりに幸運を手にする事が出来たのなら、拒む理由は無いのですが、困ったことに一族の中では、てみじかに幸運が訪れるために、孫達が石の霊力を頼りにするような気配が見受けられるように成ったことです。

 姉さんとも相談して、石を玄関先から河原に戻そうと言うことにしました。貧しかった青春時代を懐かしみ二人して当時の河原に行ったのですが、既に河原はなくコンクリートの絶壁が有るだけでした。

 他人様から見れば何の変哲もない石だけど、佐藤氏一族にとっては貧困のどん底から、一族を幸せに導いてくれた霊石なのです。何処かにお祀りしてくれる所はないかと、探すこととしたのです。

 以上が、この霊石が此処に来るまでの経緯です。

  平成6年4月吉日